『植物はなぜ薬を作るのか』斉藤和希著 文春新書(2017)

植物が作る化学成分の、特に薬として利用されているものが
なぜ・どのように生み出されて、どんな風に作用するのかを、
植物メタボロミクスの専門家が教えてくれる。
化学構造式は、私にとっては難解だったから、
本書のプロローグにあるように、挿絵と思って眺めた。
名前は知っていても、それらの成分がどのように作られ、
作用するのかをこうして文章で読むととても複雑だ。
科学技術の進歩で、複雑な仕組みが解明されるほど、
植物の中ではこんなことが起こっているのか、とかえって神秘的に感じられる。
本書で取り上げられている植物成分は薬となっているもので、
生活に馴染み深いものだが、なぜ、どうして、どんなふうに、と
迫っていくのを読み進めていくうちに、
知っていると思っていたものが驚きに変わっていく。
先日新聞をめくっていたら、
『「自家不和合性」の謎解く』という記事が目に留まった。
植物の多くは、自分の雄しべから出た花粉を拒絶し、受精しない
自家不和合性の仕組みを解明した東大名誉教授の高山誠司さんが
受賞した(藤原賞)そうだ (2025/5/26読売)。
こういう記事に目がいくようになったのは、この本を読んだおかげかもしれない。
高山教授は、
「生物が長年をかけて獲得した仕組みは、想像以上にうまくできている
(同記事より)と語っていた。
なんでだろう、どうなっていくんだろう、という態度は
庭仕事にも役に立つように思う。
虫がくったり、うまく育たなかったり。
庭で色々起こるやっかいな出来事を、
ちょっと観察してみよう、というふうになる。
薬剤や肥料は手軽にいろんな種類が手に入るから、
虫を退治して足りなさそうな栄養を与えることは簡単だけど、
本当にやっかいなことなのか、
ちょっと待って、観察してみよう、と腹が決まる。
そしてそれで解決することは結構あるし、発見することもある。

『武蔵野植物誌』佐藤潤平著 科学書院(1986)—— 時間を遡って植物を探す体験
この数日、隅から隅までページをめくって、メモばかり取っていました。
とても素敵な本なので、感じたことを書き留めておきます。
図鑑のようでもあるけれど、温かみのある言葉
武蔵野にはどんな植物があるのかしら、と図書館で調べていたところ、
その名の通り『武蔵野植物誌』という本を見つけました。
植物図鑑のようなものかと思っていましたが、開いてみると自然に自生している植物、
田畑で栽培されているものも、民家で育てられているものや生垣に見られるものも
記録されています。
時には、「〇〇さん宅に植えられているものは見事なものである」と称賛の言葉もあったり、その植物の薬効や利用法が詳細に記されているものもあります。
図鑑のようであるけれど、1980年代の、清瀬という地域の植物の様子が
丸ごと生き生きと詰め込まれているような感じがしました。
まるでタイムカプセルを受け取ったような気になって、
すぐに購入できないだろうかと探しました。
天牛書店さんありがとう
余談ですが古書店で購入することができました。
『武蔵野植物誌』を取り扱っているwebの古書店のうち、
「天牛書店」さんの本が、状態も価格も納得できそうだと思いつつ、
どんな状態の本が届くのだろうと期待よりも心配しながら注文しました。
数日後、届いた本は綺麗に包装されていて、
「ご安心ください!」と言ってくれているかのよう。
嬉しくなって包みを開けると、新品のまま、しまわれていたかのような良品でした。
本を大切に扱うお店に出会えて、幸運です。
これから本を探す時には、まず天牛書店さんを思い出しましょう・・・!

過去の記録に価値がある
記録された植物を一つずつ辿っていくと、
「たくさんある」、「どこにでもある草本」、「普通に見られる」と書かれた、
カタクリやキンポウゲ、リンドウなどの植物。
今では遠くに出かけたり、保護された場所で見ることのできる植物が、
かつては人の暮らしの近くで普通に見られていた時がありました。
かつてみられていた植物なら、合う環境を用意できれば、
再び機嫌よく茂っている風景を見ることができるかもしれません。
また、見られなくなったことで忘れられてしまったけれど、
庭に植えてみたい魅力のある植物は、遠いどこかよりも
過去の記録の中にあるのかもしれない...

「まえがき」で佐藤とし子さんが書いています。
1960年代までは、清瀬が絶好の採集地の一つであったことは、疑う由もありません。これら清瀬の植物が日毎に滅びゆくのを目にすることは、悲しみにたえません。あと十年もしたらと思うと、いつも暗たんたる気持ちです。このような中で、本書が皆様のお役にたつことを願って、筆をおきたいと思います。
この本が出版されてから40年近く経って、とし子夫人が憂えるように、
環境は変わり、かつての調査地で同じ植物を見られることは少ないのかもしれないけれど、
人柄が偲ばれる素晴らしい記録に出会うことができました。
植物に携わるものとして、何か真剣に応えたくなる、そんな本です。
『武蔵野』国木田独歩著・岩波書店(1939)—表題作は、木立の中で読んでみたい
「武蔵野」に収められた短編の中の表題作「武蔵野」は、明治31年(1898年)1月に書かれたそうです。
『昔の武蔵野ははてなき光景を以て絶類の美を鳴らしていたように言い伝えてあるが、今の武蔵野は林である。』
国木田先生は、その昔の武蔵野の俤(おもかげ)が残るのは、入間郡小手指原(現在の埼玉県所沢市北野)あたりと考えていますが、訪れたことはないと書いています。二葉亭四迷が訳したツルゲーネフの「あいびき」が描く落葉樹林に触れ、その美しさを武蔵野の今の(といっても100年以上前の)姿の中に発見します。例えばこんな風に・・
『__雨降りみ降らずみ、日光雲間をもるる時林影一時に煌めく、__』
『月を踏んで散歩す、青煙地を這ひ月光林に砕く。』
描いた場所は、国木田先生が一時期住んでいた渋谷区宇田川町です。100年以上経った今、武蔵野はずいぶん遠くなったのだなあと思います。
季節により、天気により、一日の中でも、刻々と移り変わっていく落葉樹林の美しさを、国木田先生はどんな風に捉えたのでしょう。
『林の奥に座して四顧し、傾聴し、睇視(ていし)し、黙想す』
と書いています。目の前にある風景の美しさを時間をかけて味わって発見するということを、私も試してみたくなりました。文豪のように文章で書き表せなくとも、写真を撮ることならできるかも、と思い立ってカメラを持って箱根の方へ。
国木田先生は、
『試みに中野あたり、あるいは渋谷、世田谷、または小金井の奥の林を訪うて』
みれば?と書いていますが、今の武蔵野は遠くて、いまだに少し暑いので、野ではなく山へ。

座して四顧し・・とはいかなかったけれど、とてもいい時間でした。
行きしな、箱根登山鉄道沿いに白い花がたくさん咲いていました。

花の少ない9月に、ふわふわと線路沿いを飾っていて素敵だったのですが、帰宅して調べてみたら増えすぎて困りものの外来種でした。残念ですが植えてみたい植物リストからは除いたほうが良さそうです・・。同じ仲間で在来種のヒヨドリバナを植えてみたい。
植物について学びたい時の入口としておすすめです:『ボタニカルイラストで見る 園芸植物学百科』 ジェフ・ホッジ著 上原ゆうこ訳 原書房(2015)
最近の庭仕事
気がつけばもう、6月!
春の時間は本当に短く感じます。
気候の変化もありますが、
一斉に活動を始める植物の勢いに目を奪われてしまって、
あっという間に時が過ぎてしまいます。
秋冬に剪定したバラや宿根草が、
健やかに育って花を見せてくれると、喜びもひとしおです。
庭仕事では、本格的に暑くなる前のこの時期は、剪定作業の季節ですね。
風通しよく、そして秋ももう一度楽しめるように手を入れています。

本書の紹介
大分前になってしまいますが、連休の頃から読んでいた本がこちら。

カバーデザインの美しい植物画に惹かれて、
いわゆる「ジャケ買い」してしまった本。
しおりは光沢のあるサテンで太めなのがまた素敵。
紙は厚地でくすんだ色合い。
ページを開くと随所に美しい植物画が豊富に載っていて、
イラストを見るだけでも楽しいです。
この本の魅力
図鑑や本に書いてあることが、植物の現場にいると、
当てはまらないな、と感じることがあります。
カタログや図鑑でサイズを調べ、慎重に場所を考えて植えたのに、
こんなに大きくなるとは!!とか、
暑さ寒さに対する植物の振る舞いが気候の変化のせいか、
変わってきたように思えたり・・・
この、情報とやってみた結果の間を埋めて、実用的な知恵にしていくには、
観察ともっと豊富な知識が必要なのかもしれません。
この本は、多くの項目にわたって植物学の知識を、
庭での実践に役立つように、わかりやすく教えてくれますので、
頼もしいガイドとなってくれそうです。
調べたい項目に限定せず、ページを開くと必ず載っている
美しいイラストだけを眺めて楽しんでもいいし、
植物学の偉人を紹介するコーナーだけを読んでみたりと、
楽しみながら関心を広げることができる心憎い構成です。
通読してみて発見したのですが、
書中にたまに現れる、「生きている植物学」という小さな囲み記事が
私には面白く、見つけるとそこから読んでしまいます。
『剪定後の施肥』『風の効果となでる効果』などちょっと読んでみたくなりませんか。
紙が厚く、気軽に持って出歩けないですが、
いつでも手に取れるように、本棚に飾るように置いておきたい本です。
『日本の土 地質学が明かす黒土と縄文文化』 山野井徹著 築地書館(2015)—黒土の意外な過去
この本を読んだきっかけ
お庭の土って、家を建てた後だから、掘り起こされてどこも同じようなものだと思われそうですが、場所によって結構違っていて、どんな植物を植えたらいいかを土質の面から考えることもあると思います。といっても、私の場合は粘土質か砂質かなど大まかな状態を知る程度なので、勉強するつもりでこの本を手に取ったんです。
特に黒土(黒ボク土)は、園芸の現場では「保肥力がないな〜」なんて言われることがあります。庭づくりでも、植物ごとの好む環境とか、植える場所の環境を考えて植えても、なんだかうまくいかないな、という時に、原因を探して庭中を観察するものの、はっきりとしない時に土が黒土だと、「黒土だからかな?」と疑ったことはないでしょうか・・。はい、私はあります・・。
本書の内容
本書に、一般的に黒ボク土は火山灰土と考えられてきた、とあるので、試みに一般的な園芸書を見てみると、
関東地方に広く分布する火山灰土(関東ローム)の表層土で、黒ボクとも言われます。有機物を多く含む軽くて柔らかい土です。保水性、保肥性はいいものの、通気性、排水性は良くないので、腐葉土などをたっぷり混ぜて使います。火山灰土の特質でリン酸分を吸着して離しにくいため、肥料としてリン酸を多く施す必要があります。(『ガーデニング上手になる土・肥料・鉢』より)
また、遠い昔、学生時代に学んだ土壌学の教科書でも、黒ボク土は「火山灰土」の項で説明されています。黒ボク土は火山灰と結び付けられて考えられてきた、というのがやはり一般的なようです。
筆者は、そもそも黒ボク土が火山灰土であることに疑問を持ちます。そこで問いを立て、検証していきます。内容が難解な部分もあるので、正直何度か「続きはまたにしよう・・・」と本棚に戻したこともあったけど、「黒ボク土って火山灰でしょ」という常識を、問いと検証という手順を追って覆していくのはとても読み応えがあったし、通説を疑うこと、これはひょっとしてとても勇気のある野心的な試みなのでは?と気がついた時、丁寧にデータを集め、そこからわかることを示していく、というあり方がとても勉強になりました。
では、黒ボク土ってなんなのか、最後の2章でやっと明かされます。黒ボク土が縄文時代に行われていたある文化の産物だということが示されています。
縄文時代・・・!?
黒土の見方が変わります。
黒ボク土と縄文文化
そういえば、最近読んだ『日本人なら知っておきたい! 万葉集 植物さんぽ図鑑』(文・木下武司 写真・亀田龍吉、世界文化社)という本の「すすき・をばな」のページに
ススキの語源は煤茎であり・・・
とあって、それはやはり同じ文化に由来する名前であるとありました。
万葉集が編まれた奈良時代は、縄文時代からだいぶ経っていますが、広大なススキ野原が目に浮かびます。
一面のススキ野原といえば・・・
とここで、この目に浮かぶススキ野原、見覚えがあります。箱根湿生花園で見た、仙石原の野原です。

調べてみると、縄文、万葉の頃と同じ方法で景観を保っているとのこと。
https://econavi.eic.or.jp/ecorepo/go/74
以前は、冬枯れの風景を見たくて訪れたのですが、ススキとともにどんな植物が育つのか、黒土を生かす植栽のヒントを探しに、また出かけてみようと思います。
箱根湿生花園、今年のオープンは3月16日から。
春が楽しみです。
『盆栽の誕生』依田徹著 大修館書店 —歴史を探って見える、盆栽の自由な可能性
節分が過ぎて、少しずつ日が延びてきたのを感じますね。
この寒さの中で花を咲かせる植物の中でも、
わたしが特に好きなのはロウバイです。
この花びらの透き通るような色・・!
満開になるとあたりに良い香りが漂います。春が待ち遠しいですね。

この季節のイベントで気になっているのが「国風盆栽展」です。
国風盆栽展・イベント | 【公式】一般社団法人 日本盆栽協会
2024年は前期が2月9日(金)から12日(月)、
後期が2月14日(水)から17日(土)まで。
盆栽の魅力
園芸店で、面白い枝ぶりのまだ小さな観葉植物を、焼き物の鉢に植えて、
盆栽のように仕立てているのを見かけました。
観葉植物なら室内もいいし、デスクに置けるサイズなので、
書類仕事の合間にグリーンを見てリラックスできそうです。
わたしが感じる盆栽の魅力は、眺めているひと時、
今いる場所を離れて大自然の中、木立や大樹を見上げているような
感覚になれるところです。
季節ごとの変化も魅力。育てて楽しまれている方も多いと思います。
本書の紹介
本書では、日本近代美術史が専門の著者が、
多くの資料を紹介しながら、盆栽の歴史を探っていきます。
個人の日記の中から、絵画から、有田焼の窯元に残る植木鉢の注文記録から
その姿と、植物に親しむ当時の人々の美意識を見出していきます。
そして、盆栽の誕生の過程には、意外な事実があることがわかります。
今も昔も変わらない、園芸の楽しみ
昔の人々が愛好した「鉢木」や「盆山」と呼ばれたものが
どんなものかは本書を読んでいただくとして、
著者が引用する多くの歴史的資料、特に日記は、昔の人も植物を育て、仕立てて、
その良さを味わい楽しんでいた様子に、今も昔も変わらない園芸の魅力を感じます。
季瓊心蘂(きけいしんずい)の日記には、鎌倉公方(足利政知)から
義政に献上された盆山を朝夕と眺め、
翌日には義政の庭師、善阿弥と共に眺めていたことが書かれています。
2人はどんな言葉を交わしていたのか、遠い過去がとても身近に感じられます。
読後に変わった「盆栽」のイメージ
盆栽と聞いてわたしの頭に浮かぶのは、古木の風格の松、という程度のイメージでしたが、
本書を読んで、もっと間口の広い、新しくて自由なものであることを知りました。
筆者は、
盆栽という文化の柱となっているのは「自然」の一語でないかと思う。
と述べています。「自然」という言葉に、皆さんはどんな風景を思い浮かべるでしょうか。
古木の風情、野山の草花、思い出の中の風景・・・
心のままに、鉢の中に再現できたら、楽しそうですね!
『園芸家12ヶ月』カレル・チャペック 小松太郎訳 中公文庫
最近の庭仕事
日毎に日が短くなってきましたね。最近では、お昼を過ぎるともう夕方が近づいているように感じられます。
日が傾いてくると、グラス類の穂が、西陽を受けて輝いていてキレイ!草花の紅葉、草紅葉(くさもみじ)も楽しみです。わたしは特に、黄色く色づく草の葉が大好きです。

『園芸12ヶ月』の中にも、草紅葉の美しい描写があります。
それから——。まだ葉が咲いている。秋の葉が。黄いろに、紫に、キツネいろに、オレンジに、緋赤に、暗褐色に。黒、青に色づいた実と、裸の枝の黄いろい、赤みがかった、ブロンドの幹。まだ、私たちは終わったのではない。(「11月の園芸家」)
文章から、秋の色があふれています。
本書の大部分は、思わずニヤリとしてしまう園芸家の姿が、ユーモアたっぷりに描かれていますが、その中に、こうした色彩豊かな自然の描写が随所にあって、植物の持つ美しさを発見した著者の、感嘆のためいきがきこえてくるようです。
何度も読みたくなる理由
この本の初版は1975年。初めて読んだのはだいぶ昔で、その後何度も読み返しては毎回クスリ、フフフと笑ったりしています。植物が好きすぎる人々の、情熱ゆえのあれこれが笑いを誘うのです。数年おきに読みたくなるのは、もちろん面白いからなのですが、季節の繊細な描写や、園芸の真髄と呼びたくなるようなことが、さりげなく、でもしっかりと書かれていて、この絶妙なバランスがわたしにとっては大きな魅力となっています。
筆者の園芸熱に火をつけた植物が意外
ところで筆者が園芸熱にかかったきっかけが、
自分でなにか花を一本植える
ことで、その植物は「マキギヌ」だった、という一節を読んで、「マキギヌ」が気になりました。
初めて聞く植物だったので、調べてみたところ、
多肉植物でした。ちょっと意外です。
本書に出てくる植物は、小さな花をたくさんつける可憐で愛らしい宿根草が多い印象だったもので・・・。
ちなみに、わたしの園芸熱に火をつけた植物はクレマチス・スタンスでした・・。この植物のふわふわした種をいただいたことがきっかけで、種子から苗を育てることをはじめました。

おわりに
本書には、筆者が、好きな植物を挙げるととめどない、といった勢いでたくさんの植物の名前がでてきます。例えばチャペック先生が度々その良さについて述べている、ロックガーデンの植物などを、本書から集めて図鑑で調べてみたら・・筆者の生きた19世紀末から20世紀初頭の、晩年過ごしたチェコの時代に少し触れられるかも、なんて考えています。